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ブルボン王朝 紋章

さりげな〜く魅力を盛ってくれたのが、先ほども紹介したポンパドール夫人を描いたブージェです。, よくみると散らかっているように見えますが、その一つ一つが夫人の教養を表しています。, 彼女の後ろの本棚には本が満載だし、机の下には難しい事典がありますが、手に持っているのはギターの楽譜。教養もあれば音楽も嗜み・・・, 彼女は宮廷のファッションリーダーでもあったので、女性たちはこぞって彼女の髪型を真似していました!, 教養とか難しいことはいらないのです。目をほんのちょっと大きくして、鼻筋を通して・・, 本人とわかる程度に盛ってかわいくしてくれたら・・・そんな魔法の手を持つSNOWのごとき画家がルブランです。, 実際のポリニャック夫人は知らないけど、可愛らしさのなかにさりげない色気を感じるルブランの絵は、いい感じに盛っているんだろうなぁ・・って思うわけですよ(^▽^;), バブルは膨らめば弾けます・・財政は急激に傾き、国民の不満がフランス革命へと足を早めて行きました。, こんな華やかな時代が嘘だったかのようにフランス革命後は血で血を洗うような、恐怖が支配する時代になってしまいます。, メディチ家は商家の出身ながら、ローマ法王を2人、フランス王妃を2人輩出した名門です。, メティチという家名は医療や薬という意味もあるので、もともとは医療を生業にしていた一族ではないかと言われています。, だけど13世紀ごろまでのメディチ家の記録はあまり多くは残っていませんので、詳しいことはわかっていません。, メディチ家の始祖ジョバンニ・デ・メディチは不動産業から金融業に商売変えし、莫大は富を築きます!, その後、ギリシャ神話の神様たちは崖っぷちアイドルよろしく、次々に衣服を剥ぎ取られていっちゃうんですけどね〜(^▽^;), カトリーヌは当時はまだ手づかみで食事をしていたフランスにフォークとナイフの文化を持ち込み、マカロンやフィナンシェ、アイスクリームなどのお菓子文化を伝え、今のフランスの食文化に多大なる影響を与えた女性です。, 国王である夫が40歳でなくなったあと、まだ幼い息子の摂政として政治に関わることになるのですが、その手腕がなかなか黒い(((uдu*)ゥンゥン, まぁイタリアの商家の出であったカトリーヌにはフランス王家に味方はいませんから、仕方なかったのかもしれません。, またカトリックがプロテスタント(どちらもキリスト教の宗派)を大量虐殺したという事件が起こり、その首謀者がカトリーヌだと言われていますが、真偽のほどはさだかではありません。, メディチ家に最も勢いがあった頃のメディチ家の当主で、芸術をこよなく愛したのがロレンツォです。, 特にボッティチェリとは親友といっていいほどの仲で、キリスト教が絶対という世の中にあって、キリスト教と相反する多神教のギリシャ神話の女神を描けたのは、ロレンツォと旧知の仲だったからでしょう・・・, ミケランジェロを若くして見出し、資金援助を続けていたのもロレンツォですし、自由気ままに絵を描いていたダ・ヴィンチが職にあぶれなかったのも、ロレンツォが紹介状を書いていたからです。, ただね・・・そんなこんなでお金を使いすぎちゃったらしく、政治の面では非凡な才能を見せたロレンツォではありましたが、本業である銀行事業はすでに赤字続きで傾いてみたい(;´д`)トホホ…, ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの他にもフラ・アンジェリコ、フィリッピーノ・リッピなど、数多くの芸術家のパトロンとなり、イタリアを芸術先進国に押し上げました!, ミケランジェロは幼くしてメディチ家の庇護を受けていたにも関わらず、一時期反旗を翻し、敵対勢力であった共和制を支持していた時がありました!, 巨人ゴリアテに、たった1人で立ち向かうダビデ像は、まさに巨人メディチ家に対抗する共和制のシンボル的作品だったんですね・・・, その後、ミケランジェロは芸術活動を続けるためにメディチ家に出戻り、ダビデ像は皮肉なことにメディチ家に守られて今もイタリアにあるんです(^▽^;), ロシアのロマノフ家、イギリスのチューダー家などなど・・紹介したかったけど、しきれなかった名家がまだまだあります。またいずれお話させていただきます。, 当館は毎週土曜か日曜の深夜に開館します。また来週お会いいたしましょう(*ˊᵕˋ*)੭, ・・・もしかして、あの1,2,3・・・ダァーーー( ゚Д゚) の方も、パプスブルグ家の出s・・・←コラw, パプスブルグは遠い記憶で世界史で出てきた記憶がありますが、 マリーアントワネットがパプスブルグ出身だったとは知りませんでしたよΣ(・□・;), えたさん、コメントありがとうです♪ いや〜もしかしたら血が流れてるかもしれませんよぉ(((uдu*)ゥンゥン 世界最古の動物園はハプスブルグ家が作ったと聞いたことがあるような・・ないような・・, 久しぶりに訪問したら読み応えありすぎで、ひっくり返っちゃったwwしかもベラスケス作「青いドレスおマルガリータ」お、はもしかしての、ではないか?おまるがりーたwと読んでしまったではないか!姉さん!どんなおまる?と真剣に悩み・・・ブルボン家のアンリ四世のすけべニヤリにおぉ!となりハプスブルグ家のシャクレはえたばりゅさんと同じ目線で見てしまったww, pope兄さん、コメントありがとうです♪ 読み応えありましたか? そう言ってもらうと嬉しいなぁ・・・構想していたこと半分もかけてなかったので(;´д`)トホホ… 私のおまるは白鳥型でしたが、当時はみんなそうでしたよね(; ・`д・´)? って、なんでおまるなんだ〜〜〜〜(≧∇≦)w シャクレといえば・・ですもんね!私も同じくですwww, おぉ、私の好きな題材だ(*´∇`*) 元々ハプスブルグ家の話が大好きな上に、ゲーム(大航海時代)に登場する人物もたくさんw そして私もルブランに肖像画を描いてもらいたいよ! お金持ちになったらこんな風に書いてくれる画家さんを雇おうw それにしてもエリザベートさん、綺麗ですねぇ(*・ω・*)ポッ でもウェスト50cmは、盛ってるような気がする!, さくらノ姐さん、コメントありがとうです♪ でしょ?ハプスブルグを描くときはいつもさくらノ姐さんの顔が浮かぶ(見たことは無いんだけどw) いつか一緒に大航海時代やりましょうね(๑•̀ㅂ•́)و✧  私もアイコンをルブランに描いてもらいたい・・・〇〇画家風の似顔絵アプリとかがあったらいいのに٩(●˙▿˙●)۶ 私、50㎝と言っていたことがあったけど、実際は55cmくらいだったwww ←太古の昔, ふぁ~!凄いね。ヨーロッパの歴史に登場する『~家』、桁が違うワァ!とんでもない富が集中してあの目眩くような絢爛豪華を生み出した(^0^;)んですよね。 バロックもロココもルネサンスも 彼らの庇護がなければ生まれなかったわけだから…民主主義からは絶対に生まれないスケールなわけだから…う~ん、何が言いたいの私(^^ゞ。楽しく読ませて頂きました( ^o^)ノ, ヨウコさん、コメントありがとうです♪ 本当に!文化を変えるくらいの富ってどんなでしょうね・・おかげで現在では誰もその富を覗かせてもらえるのでありがたいことでございます。 いえいえ分かりますよ〜!!暮らすのは民主主義が楽ですが・・見る分にはねぇ(((uдu*)ゥンゥン, ハプスブルク家がスイス由来とは知りませんでした。 戦争より婚姻で勢力を伸ばしたのは有名ですね。 近親婚は弱くなりやすいのでマズいですね。 それが衰退に関係していましたか・・・。, マリーアントワネット・・・これは、描いた人が悪いのでしょうね。 こんなに老けているとは!, ルブランは有名ですが、自画像は嘘くさいです。 シンプルな分、より可愛さが増して見えて・・・。, 可愛く描くのが特徴のようですが、外人は、鼻が妙に高い人っや口の横幅が広く可愛くない顔が多いから嘘くさいですね・・・(;・∀・)。, ウレジーミルさん、コメントありがとうです♪ 以外にもスイス発祥の小さな貴族だったんですけどねぇ・・・どんでもない幸運に恵まれた一族だったんですよ(((uдu*)ゥンゥン とりあえず、もし私が似顔絵を描いてもらうならルブランがいいですね・・・ いい感じに盛ってもらいたいです。今はアプリでできますけどねえ(≧∇≦), 近しい血縁関係って、自然にしてたら強く惹かれてしまうものなんじゃなかったでしたっけ。 だから厳しく禁止するんだと聞いたことがあります。 みんながみんな近親婚だと、弱くなって全滅する危険がありますもんねぇ。。。 たとえば「兄妹で惹かれあう」とかって、ホントは自然なことなんだけど、気持ち悪いと思うように洗脳されてきたんだとか。 (なぜそこだけクローズアップした?わたしwwwわたしも洗脳されてるクチです), aiaiちゃん、コメントありがとうです♪ 遺伝子的には惹かれないようにできてるみたいよ・・体臭が近いとダメなんだって!ただ・・事に及ぶと遺伝子が違いほうが・・やめておこう完全にR20案件www なぜクローズアップした(;//́Д/̀/)カーッ, Nickちゃん、コメントありがとうです♪ ルブラン可愛いよね〜!!私のアイコンも描いてくれないかなぁ・・・描いてくれないかぁ(^▽^;) 今も昔も女性は盛るです。本当変わらないんだね・・・とりあえずsnow(もりもりアプリ)はありがたいwww, ましゅーさん、コメントありがとうです♪ いや・・お菓子のブルボンは「高級感がますように」ってブルボン家からとったという説もあるのですよ・・・ 描きたかったんだけど、不確かだったのでやめました(^▽^;), 「クリムト展」 と「ウィーン・モダン展」2つのクリムト関連の展覧会で見られる絵画解説. Copyright © Primo Japan Inc. All Rights Reserved. ブルボン家(仏: Maison de Bourbon )は、ヨーロッパの王家で、フランス王家カペー家の支流の一つ。 かつてのフランス王家、また現在のスペイン王家であり、さらに両シチリア王国など現在のイタリアの一部を治めていた家系もある。 現在のルクセンブルク大公家も男系ではブルボン家の後裔。 ブルボン朝がイラスト付きでわかる! 近世フランス王国の王朝。1589~1792年、1814~1830年の間フランスの王朝となった。転じて現スペイン王室などにも使用される。 ブルボンも参照。 概要 近世フランス王国の王朝であり、フランス王国でも最も有名な王朝と言える。 《中国、宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという「荘子」斉物論などに見え... 「コトバンク」は朝日新聞社の登録商標です。「コトバンク」のサイトの著作権は(株)朝日新聞社及び(株)VOYAGE MARKETINGに帰属します。 有名画家50人と代表作一覧!これだけ知っていたら大丈夫。美術館に行くのが楽しくなる, サイゼリヤで観られるイタリアン絵画にはこんな意味があったんだ!話のネタになる西洋絵画入門. ブルボン家が華やかなりし時代に人気のあった画家は・・・今でいうSNS映えする肖像画が描ける画家です( ✧Д✧) カッ!! (上、マリッジリングM/中、エンゲージリング/下、マリッジリングL), レディースは指になじみやすい、細身のV字デザイン。メレダイヤを隙間なく連ねたリングには、これからの未来をいつも輝かせてくれるように、という願いが込められています。愛と音楽の女神の名を持つリングです。, V字ラインのリングは、視覚効果で指をすっきりと長く見せることができます。V字ラインのような動きのあるデザインを重ねづけすることによって、上品さや華やかさ等、なりたいイメージをプラスできるようなコーディネートを楽しんでみてくださいね。, ご予約なしでも指輪をご覧いただけますが、事前にご予約をいただけるとお待たせすることなくスムーズにご案内させていただきます。, 予約専用ダイヤル0037-6066-93346(受付時間:9:00~17:30・通話無料). ブルボン家(仏: Maison de Bourbon)は、ヨーロッパの王家で、フランス王家カペー家の支流の一つ。かつてのフランス王家、また現在のスペイン王家であり、さらに両シチリア王国など現在のイタリアの一部を治めていた家系もある。現在のルクセンブルク大公家も男系ではブルボン家の後裔。, ブルボン(Bourbon)の語源は、ケルト語で「泥」を意味する borvo もしくは borbo である。[要出典], ブルボン家の家名の由来となったブルボネーはフランスの中心部に位置し、文字通り王国の心臓部とも呼ぶべき場所であった。カール・マルテルの子孫といわれるアデマール (fr) が10世紀にこの地の最初の領主となり、ブルボン城(現在のブルボン=ラルシャンボーにあった)にちなんで自らの家名をブルボン家と称した。この古ブルボン家とも呼ぶべき家系 (fr) は、1218年に女領主マティルド (en) の死によって断絶し、その息子であるダンピエール家 (fr) (ダンピエール領主)のアルシャンボー8世 (en) によって相続される。しかしこのダンピエール=ブルボン家も、アルシャンボー8世の息子アルシャンボー9世 (en) が1249年に男子を残さず没する。その娘アニェス (en) はブルゴーニュ公ユーグ4世の息子ジャンと結婚し、2人の娘ベアトリス (en) は国王ルイ9世の末子クレルモン伯ロベールと結婚する。ベアトリスとロベールの息子ルイ1世は国王シャルル4世によって1327年にブルボン公に叙せられる。これがカペー系ブルボン家の始まりである。, 1328年にシャルル4世が死去し、ヴァロワ家のフィリップ6世が即位してヴァロワ朝が始まるが、イングランド王エドワード3世がこれに異を唱え、百年戦争が勃発する。ブルボン家はヴァロワ家の外戚、有力諸侯としてこれを支えていくことになる。, 第2代ブルボン公ピエール1世は1356年のポワティエの戦いで戦死し、息子ルイ2世が公位を継いだ。この戦いで捕虜となった国王ジャン2世はロンドンで虜囚のまま1364年に死去し、ルイ2世の妹ジャンヌを妃とするシャルル5世が即位する。ジャンヌは1373年に突如発狂したが、精神障害はブルボン家の近親者に多かれ少なかれ見られ、遺伝性疾患であったと考えられている。これはヴァロワ家、後にランカスター家にも遺伝し、フランスとイングランドの歴史を大きく左右することになる。, 1380年にシャルル5世とジャンヌの息子シャルル6世が王位に即き、新王の伯父ブルボン公ルイ2世は先王の弟たちとともにその後見人となった。シャルル6世が1392年に発狂して以後、王弟オルレアン公ルイの一派(オルレアン派)と叔父フィリップ豪胆公(後に息子ジャン無怖公)の一派(ブルゴーニュ派)の間で権力抗争が繰り広げられたが、ルイ2世はこの争いには加担しなかったらしい。1410年にルイ2世が73歳で没すると、ブルボン公位を継いだ息子ジャン1世は、暗殺されたオルレアン公ルイの遺児シャルルを首領として同年に結集したアルマニャック派に加わった。, 1415年のアジャンクールの戦いで、フランス軍はヘンリー5世率いるイングランド軍に大敗し、オルレアン公シャルルを始めとする多くの貴族が捕虜となった。ブルボン公ジャン1世も捕虜となってロンドンへ送られ、ジャン1世の息子シャルル1世が不在の父に代わって実質的な家長となったが、若年のため母マリーが後見した。翌1416年には、マリーの父でヴァロワ家の長老であったベリー公ジャンが没するが、ベリー公には男子の後継者がなく、マリーが所領の一部であるオーヴェルニュ公領およびモンパンシエ伯領を相続した。のち、マリーの長男であるシャルル1世は前者を譲られ、三男ルイは後者を譲られてブルボン=モンパンシエ家を興す。, 1419年、無怖公はアルマニャック派によって暗殺され、息子フィリップ善良公は報復としてイングランドと同盟する(アングロ=ブルギニョン同盟)。1422年にヘンリー5世とシャルル6世が相次いで没するが、ブルボン公シャルル1世はシャルル6世の息子シャルル7世に忠実に仕え、シャルル7世も自分とほぼ同年齢で有力な一族であるシャルル1世を信頼し重用するようになった。イングランドとブルゴーニュがネーデルラントを巡って仲違いを始めると、シャルル7世はすかさず善良公と1424年にシャンベリーの協定を結んで相互不可侵を獲得する。さらにシャルル7世は善良公を自分の陣営に引き込むため、翌1425年にシャルル1世及び懐刀でもあるフランス元帥アルテュール・ド・リッシュモンを善良公の姉妹であるアニェス、マルグリットとそれぞれ結婚させた。, 1434年にジャン1世がロンドンで虜囚のまま没したことにより、シャルル1世は名実ともにブルボン公となった。同年末のヌヴェールでの協議において、リッシュモン元帥の調停によりシャルル1世と善良公は和解する。翌1435年のアラス会議には、フランス側の代表としてシャルル1世とリッシュモンが派遣された。会議は成功しアラスの和約が結ばれ、シャルル1世とリッシュモンは善良公の前で十字架に手を差し伸べ、無怖公への哀悼を示した。その後、シャルル1世は善良公と手を組んで街中を行進することで和解をアピールした[1]。, しかしその頃から、リッシュモンによる常備軍としての国王軍創設の改革を原因として、ブルボン公シャルル1世とシャルル7世の関係は微妙なものとなる。1440年に発覚したプラグリーの乱は、シャルル1世がアランソン公ジャン2世やジャン・ド・デュノワら他の王族と謀り、シャルル7世を廃位して王太子ルイを王位に就けようと企てた事件であった。陰謀はリッシュモンに露見して失敗に終わり、シャルル1世は逃亡したが、後に自らシャルル7世の許に出頭して謝罪した。シャルル1世は罪を許されたものの、領地の一部を没収された。, シャルル1世は百年戦争終結から3年後の1456年に没し、息子ジャン2世が公位を継ぐ。1461年にはシャルル7世が死去し、ブルゴーニュ公国に亡命していた王太子ルイがルイ11世として王位に就く。ルイ11世は父王の中央集権化政策をさらに推し進め、ジャン2世を始めとする多くの諸侯の反発を招いた。ジャン2世は、自らの従弟で妹婿でもある善良公の嫡男シャルル(のちの突進公)らを始めとする諸侯を糾合して公的同盟 (en) を結成する。, 1467年にブルゴーニュ公位を継いだシャルル突進公は、ヨーク家のイングランド王エドワード4世と同盟し、共同でフランスに攻め寄せた。この戦いに際して、ジャン2世の庶弟ルイはフランス海軍元帥に任じられ、艦隊を率いてアラス一帯でゲリラ活動を行い、アングロ=ブルギニョン連合軍を撹乱した。ルイはさらに、エドワード4世との間で1475年にピキニー条約(英語版)を取りまとめてアングロ=ブルギニョン同盟を崩壊させた[2]。, 1488年に死去したジャン2世には庶子しかいなかったため、聖職にあった三弟シャルル2世が公位を継いだ。ジャン2世の庶子の家系はラヴェンダン子爵、バシアン男爵、マローズ公爵となった。しかしシャルル2世は兄の死から5ヶ月余り後に死去した。四弟のリエージュ司教ルイ (en) には男子がいたものの庶子扱いされ(この家系はブルボン=ビュッセ家 (en) と呼ばれ、現在まで続いている)、末弟ピエール2世が公位を継いだ。ピエール2世はシャルル8世王の姉アンヌ・ド・ボージューの夫であり、妻と共に義弟の摂政を務めていた。, 唯一の男子に先立たれていたピエール2世が1503年に死去すると、ブルボン家嫡流(第一ブルボン家)の男子は絶えた。そのため、ピエール2世の娘シュザンヌと、その又従兄に当たる傍系ブルボン=モンパンシエ家のモンパンシエ伯シャルル(シャルル3世)が結婚して、共同で公位を継承した。ヴァロワ家でもシャルル8世の死で嫡流が絶え、オルレアン公シャルルの息子ルイ12世が王位を継承し、続いて従甥で娘婿であるフランソワ1世が1515年に王位に就く。, シャルルはモンパンシエ伯ルイ1世の孫で、その息子ジルベールとマントヴァ侯フェデリーコ1世の娘クララの息子であった。伯位は父からシャルルの兄ルイ2世に継承されていたが、ルイ2世が未婚のまま早世したためシャルルが継承者となった。, シャルル3世はマリニャーノの戦い(英語版)で功を立てて元帥に任じられ、さらにはミラノ総督に任じられたが、有能さ故に恐れられたのか、間もなく更迭されて帰国を命じられた。1521年に妻シュザンヌが没すると、フランソワ1世の母でブルボン公シャルル1世の娘マルグリットを母とするルイーズ・ド・サヴォワがブルボン家の相続権を主張し、シュザンヌの領地はフランソワ1世に没収された。これに憤激したシャルル3世は1523年、フランソワ1世の宿敵である神聖ローマ皇帝カール5世と密約を交わし、イングランド王ヘンリー8世も巻き込んだ陰謀を企てた。しかし、この陰謀はフランソワ1世に露見し、シャルル3世はカール5世の許へ逃亡した。, カール5世の下で軍の指揮を委ねられたシャルル3世は、1525年のパヴィアの戦いでフランソワ1世を捕虜とする活躍を見せた。フランソワ1世は翌1526年にマドリード条約を締結して釈放されるが、すぐに破棄して1527年に戦争を再開する。カール5世は、フランソワ1世に与した教皇クレメンス7世への懲罰として、シャルル3世を指揮官とする軍勢をローマへ差し向けた。シャルル3世率いる皇帝軍は教皇軍を敗走させたが、ローマを包囲中にシャルル3世は戦死した。指揮官の死によって皇帝軍は統制を失い、ローマ略奪が起こった。, シャルル3世の死をもってブルボン家の本流は絶えた。代わって、ブルボン公ルイ1世の四男ラ・マルシュ伯ジャック1世 (en) から5代目の末裔であるヴァンドーム公シャルルがブルボン家の家長となったが、ブルボン公の称号と所領はルイーズ・ド・サヴォワを経てヴァロワ=アングレーム王家のものとなった。ラ・マルシュ伯の家系をブルボン=ラ・マルシュ家と呼ぶが、ジャック1世の子ジャン1世 (en) は婚姻によりヴァンドーム伯位を獲得し、次男ルイ (en) がこれを継承した。ラ・マルシュ伯はルイの兄ジャック2世 (en) が継承したが、男子がなく断絶した。ラ・マルシュ伯はルイから3代にわたって継承されたが、シャルルの代に至ってヴァンドーム公に昇叙されていた。この家系を特にブルボン=ヴァンドーム家と呼ぶ。一方、シャルルの叔父ルイ (en) はシャルル3世の姉ルイーズ (en) と結婚しており、ブルボン朝初期まで続く第二ブルボン=モンパンシエ家を興している。, ヴァンドーム公シャルルの伯母ジャンヌは、初め宗家のブルボン公ジャン2世の3人目の妻となり、死別後の再婚でカトリーヌ・ド・メディシスの母マドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュをもうけている。また、シャルルの妹アントワネットはギーズ公クロードに嫁いでおり、フランソワ2世の王妃でもあったスコットランド女王メアリー・ステュアートやアンリ4世と敵対するギーズ公アンリ1世はその孫であった。, シャルルの息子アントワーヌは、ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレと結婚してナバラ王位を獲得した。ジャンヌの家系アルブレ家はナバラ王家としてピレネー山脈以北のバス=ナヴァール(低ナバラ、現在のフランス領バスク)を治めた他、フォワ、ベアルンなどフランス南部に所領を持つ大貴族であり、ジャンヌはその最後の当主であった。また、ジャンヌの母マルグリットはフランソワ1世の姉であり、さらに最初の夫アランソン公シャルル4世がアントワーヌの母方の伯父であるという縁もあった。ジャンヌは熱心なユグノーであり、カルヴァン派を国教として領内のカトリック教徒を弾圧した。1553年にジャンヌが夫アントワーヌとの間に儲けたのが、のちのフランス王アンリ4世である。, アントワーヌの弟のうち、ブルボン枢機卿およびルーアン大司教シャルルは国王アンリ3世の死後にアンリ4世の対立王「シャルル10世」として擁立されたが、間もなく死去した(1589年 - 1590年)。末弟のコンデ公ルイ1世はブルボン=コンデ家の祖である。この家系からはさらにブルボン=コンティ家が分かれている。, アンリ4世の即位後、ヴァンドーム公位は庶子セザールに授けられ、第2のブルボン=ヴァンドーム家を興したが、孫のフィリップの代で断絶した。, アントワーヌとジャンヌ・ダルブレの子アンリは、父からヴァンドーム公位とともにブルボン家家長の地位およびフランス王位継承権を、母からナバラ王位を継承していたが、ヴァロワ朝の断絶に際してフランス王アンリ4世として即位した。ルイ14世のとき絶対君主制を確立したが、フランス革命で一時中断、復古王政ののち1830年の7月革命をもって嫡流はフランス王位を失った。, 7月革命の後にブルボン家嫡流に代わって即位したルイ・フィリップの家系オルレアン家(ブルボン=オルレアン家)もブルボン家の支流の一つであり、ルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世に始まる。, スペインでアブスブルゴ(ハプスブルク)家が断絶した後、1700年にフランスのルイ14世が孫のアンジュー公フィリップ(フェリペ5世)をスペイン王に即位させた。この企てはスペイン継承戦争を招いたが、戦争の結果各国が即位を承認し、ボルボン朝が成立した。1931年にアルフォンソ13世が退位した後、長く王位を失っていたが、1975年に孫のフアン・カルロス1世が即位して王制が復活した。, フェルナンド7世死後、その娘であるイサベル2世が即位したが、フェルナンド7世の弟であるモリナ伯カルロスはこれに反発して、カルロス5世として独自に即位した。以後、スペインはイサベル2世派とカルロス5世派とに分かれて内戦が勃発した。カルロス5世及びその子孫を支持する一派をカルリスタと呼ぶことから、この内戦はカルリスタ戦争という。カルロス5世の男系子孫の最後の男子であるサン・ハイメ公アルフォンソ・カルロス(アルフォンソ・カルロス1世)が死去した後は、カルリスタはそれぞれ独自の王を立て、分裂している。なお、モンティソン伯フアン・カルロス(フアン3世)以降はレジティミストの要請により名目上のフランス王位も兼ねていた(後述)。, イタリア南部のナポリ王国とシチリア王国はもともとアラゴン王国の支配下にあったが、アラゴン王国がスペインに統合されることによって、スペイン王家の支配を受けるようになった。ナポリとシチリアは形式的に分かれているだけで、どちらもスペインの支配下にあり、フランス・ブルボン家がスペイン王となるに及んで、ブルボンの支配はこれら王国にも及んだ。ところが、スペイン・ブルボン家初代フェリペ5世即位後勃発したスペイン継承戦争でオーストリアがナポリとシチリアを占領した。オーストリアの支配は1707年から1734年まで続いた。, ポーランド継承戦争中、フェリペ5世の王子でパルマ公だったドン・カルロスが武力でナポリとシチリアを奪回し、ナポリ王カルロ7世およびシチリア王カルロ5世となった。ここにブルボン家は南イタリアをも獲得したことになる。その後、カルロ7世はスペイン王位に即位してカルロス3世となり、ナポリとシチリアは息子のフェルディナンドに譲った。これがナポリ王フェルディナンド4世(シチリア王フェルディナンド3世)である。, 19世紀始めのナポレオン戦争でナポリは一時フランス帝国の支配下に落ちたが、1816年のウィーン議定書によって返還され、両シチリア王国として再出発した。ナポリ王フェルディナンド4世(=シチリア王フェルディナンド3世)は両シチリア王フェルディナンド1世となった。両シチリアのブルボン家は4代続いたが、1860年にガリバルディに征服され、統一イタリア王国に併合された。廃位後も家系は今日まで存続している。, イタリア北部のパルマ公国はファルネーゼ家によって建てられた国であるが、ファルネーゼ家が断絶した際に、フェリペ5世の王妃エリザベッタ・ファルネーゼの尽力によって息子ドン・カルロス(カルロス3世)が公位を継承した。その後パルマはポーランド継承戦争の結果オーストリア・ハプスブルク家に渡るが(ドン・カルロスは代わってナポリとシチリアの王位に就く)、オーストリア継承戦争の講和条約であるアーヘンの和約で再びスペイン・ブルボン家に戻り、カルロスの弟フィリッポが公位に就いた。このフィリッポの家系をブルボン=パルマ家(ボルボーネ=パルマ家)と呼ぶ。, フィリッポの死後は息子フェルディナンドが公位を継いだが、パルマはナポレオン・ボナパルトに征服され、フェルディナンドの息子ルドヴィーコは新たに建てられたエトルリア王国の王位に就けられた。エトルリア王国はルドヴィーコの息子カルロ・ルドヴィーコの代にフランスに併合され、カルロ・ルドヴィーコはウィーン会議の結果ルッカ公となったが、ルッカ公国は1847年にトスカーナ大公国に併合され、カルロ・ルドヴィーコはパルマ公位を得た後に死去した。, その後、パルマ公は2代続くが、パルマ公国は住民投票によって1860年にサルデーニャ王国に併合されて消滅した。因みに、最後のパルマ公ロベルト1世は廃位後に24人の子をもうけており、10人の男子のうちから今日まで存続している家系もある。その一つは、ルクセンブルク大公シャルロットと結婚したフェリックス公子の家系である。ルクセンブルク大公家はルクセンブルク家あるいはナッサウ=ヴァイルブルク家の家名を用いているが、男系ではブルボン家の後裔に当たる。, フランス革命以後もブルボン家をフランス王家として支持した王党派をレジティミスト(Legitimists)あるいは正統派という。彼らはボナパルト家支持者であるボナパルティスト、あるいは同じく王党派とされるがオルレアン家を支持するオルレアニスト(オルレアン派)と対立しながら、今日まで存在し続けている。, シャルル10世の孫、シャンボール伯アンリ・ダルトワの死によってルイ15世の男系男子が絶えると、レジティミストの一部はオルレアニストに合流したが、一部はサリカ法に基づいてスペイン・ブルボン家の王族をフランス王家継承者に推し、今日に至っている。, 現在はスペイン・ブルボン家の分家のルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーンが「ブルボン家家長」「フランス王ルイ20世」として支持されている。これに対してオルレアニストはパリ伯兼フランス公ジャン・ドルレアン(ジャン4世)がフランス王位を主張している。オルレアン家は「パリ伯」の称号をレジティミストから認められているが、ルイス・アルフォンソが用いている「アンジュー公」の称号をフランス公は認めておらず、フランスの裁判所に提訴したことがある(訴えは退けられた)。, インドのボーパールには、フランスからインドに渡ったという、ジャン・フィリップ・ド・ブルボンの後裔を称する「ブルボン家」が存在している。ボーパール藩王国(英語版)では富裕な一門であり、バルタザール・ブルボン=シャサド・マシは藩王国の宰相を務めている。1882年にルイ・ルッスレ(英語版)が表した旅行記にもその存在が書かれている。現在の家長はバルタザール4世。2007年にはミシェル・ド・グレース[3]が小説『Le Raja de Bourbon』において主題として取り上げている。ド・グレースはこの本の中で、ボーパールのブルボン家の先祖はアンリ4世の甥だとし、「証拠はないが、そう信じている」と述べている[4]。, ブルボン家は初期から、一族内で近親婚を繰り返し、それに伴う弊害をもたらしてきた。それはブルボン公時代の、シャルル5世の后であるジャンヌの発狂で現れた。そして、フランス王位を継承し、更にはスペイン、ナポリ、シチリアの王位も獲得すると、王位を安定化するために一族間で血族結婚を頻繁に行った。国内に於いても、ブルボン系の有力貴族間で血族結婚が行われた。1750年代の外交革命に伴い、同じく血族結婚が盛んであったハプスブルク=ロートリンゲン家と縁組を頻繁に行うようになった。その結果、両家で早世したり、あるいは成人しても身体に障害を持つ者が続出した。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ブルボン家&oldid=79485973.

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